ダブルバトルの歴史 いままで使ってきたPT
僕がダブルを始めてから今にいたる歴史を思い出しながら書いてみた。
4世代(HGSS)時代
初めて組んだPT
当時、ランダム環境はバトレボしかなく、ポケモンの重複もできてたため、こんな感じのパーティだった。
HGSS発売からダブルをはじめたため、ムウマージでどくまもしてるだけだった。
ダブルWiKiの存在を知って後のPT
ほうでん+地震を覚えてしまい、感動を覚えた。サンダーがねっぷうを覚えるのも驚いた。
ヌケニン+サンダーが強いぞ!!って書いてあったからつかっていたが、意外と弱かった。
ベトベトンは爆発用
wcs2009鑑賞後のPT
完全に感化されここからポケモン熱が一気にヒートアップした。
当然PTは固体もぜんぜんだし、見よう見まねでつくっただけだったが、普通に勝ててダブルバトルは楽しいと思った受験シーズン(10月)
厳選時代PT
無事受験も推薦で受かり、授業中はもっぱら厳選タイムだった時代のPT。
当然乱数は使ってなかった時代なので、ラティはSDのみV。グロスはAVだけなどいまとなっては懐かしい思い出。バトレボでは非常に勝率がよく、この頃からグレイシアが強いと信じて止まなかった。
そしてちょうどこの頃ぐらいに公式大会のルールが決定された。
GSパーティ
wcs富山予選に使用したPT。乱数も固定シンボルはできるようになっており、ほぼ理想固体がそろっていた時代。予選は1回戦以外は危なげなく、安定して勝ちあがったが、決勝Tにてスカーフオーガの雷急所でパルキアが落ちて終了。
こうやって見ているとずっとゴウカザルつかってますね。僕。
5世代
BWが発売され、新しいポケモンがふえ、ランダムバトルが手軽にできるようになった。
同じ学校の友達もポケモンをはじめ、大会などをおこなうようになった。
5世代初期PT
身内の大会で優勝したPT。
この頃はミラコスイクンが結構ささってた
。乱数はほとんどできる状態だったため、もう理想値を手に入れる喜びはなくなっていった。
てゆうかサルノオーラティ使いすぎだろ。
第2回身内大会
脳筋構築作ろうと思ったらおもった以上に弱かったPT。このころから友人たちも乱数に手を染め、今のようなポケキチが生まれた。(誰とは言わない)
第3回身内大会
初めてクレセリア、ヒードランを使い、優勝したPT。
PT変更ありのルールなため、決勝戦は他を使用したが、ほとんどこのパーティをつかったため。
この頃からクレセグロスを使っていたってのは若干信じられないがいばるとかはしてなかった。
そしてようやくゴウカザル離れに成功した瞬間だった。
第4回身内大会
スイクンとマンダをくるくる入れ替えながら使用したPT。一応優勝。
この頃から雨ニョロトノが入手できるようになり、トリトドンの需要が一気に増えた環境だった。
19歳最後の大会であった。そしてニコニコ生放送に出会ってしまう。
放送当時
20歳になり、生放送をしたいと思い、やってしまった。
当時はコミュも当然小さく、独り言を淡々としゃべる放送が続いた。
ましてやダブルバトルはなかなか需要が薄く、人はあまりこなかった。
しかし、あるダブル大会を機会に有名な人たちがみに来てくれるようになった。
そのとき使ってたPTがこれ
放送で有名な人に勝ってシングル放送ばかりやってたので、シングルの人からはダブルはできるんだこの人!!みたいな空気になってこの頃から今仲いい人たちが来てくれることが多くなった。
イッシュダブル
ローブシンをガンメタしたくて入れたゴルーグが異常なまでにささり、47戦して3敗の
1763のレートだった。いま思えばこれが一番勝ててたルールかもしれない。
お正月重力PT
ニコ生のダブル大会でおそらく初めて優勝したPT
まんまトリル。
その後はずるずるいって特になし。
BW2
んで今に至ります。みなさんこれからもよろしくお願いします。
今は原点回帰でヨノワールつかってます。強いです。